決断としょうがない

最近、自分がこの先どうしたらいいかわからない、と周りの人に相談される。

そんなことをまだ何もしていない僕に聞いても仕方ないのは自明だけど、真剣に悩んでいる中で、胸のうちをぶつける相手に僕なんかを選んでくれたのなら、誠心誠意をもって応えたい。それでも偉そうに人にキャリアアドバイスなんて絶対できないので、自分がその立場だったらどう考えるか、という視点で精一杯答えている。

なぜ悩むかというと、先の見えない未来の姿が不安で仕方なくて、リスクがあることに対して何かしらの保証や確証を持って臨みたいからだろう。だからこれまでのキャリアパスを参考にして追従しようとしたり、リスクが少なくてその先がなるべく開けていそうな場所に行きたいと思うのは非常に理にかなっていると思う。(その前提がどうという話はあるが)

でも僕は、この不安はずっと無くならないものだと思う。これまでを振り返るとわかるように、この先どれだけやりたい仕事や行きたい会社や学校に入れても、今度は別の不安がきっと生まれる。解雇、倒産、昇給、ボーナス、職場の人間関係、実際やりたかった事とのギャップ、一定の成果を出した先のステップ。考えれば切りがない。

だから、悩み続けることに自分のリソースを割くのはもったいないと思う。自分が納得できる線を設定して、それを満たすまで悩み切ったら、もうそれ以上はやめよう。そこで自分が創った目標にあとは一心不乱に全力投球して、それで駄目ならしょうがない。(この過程には、精神面のバランスキープも含まれる。)

それに、自分の努力にちゃんとやった自信が持てるなら、そこで失敗した理由は他のファクターが原因の可能性が高いかもしれない。社会に評価をされる局面において、自分が地道に努力したことが直接的に結果に出ることはそんなに多くないと思う。あまり着目されないけど、市場環境、ニーズの変化、戦略の方向性、人の感情、いくつもの要素の複雑な絡み合いが1つの結論を出す。高校の時先生が、点数だけで完全に優劣が決まる大学入試が最後のフェアな競争と言っていたのを思い出す。

僕はこれに気づいて、かつ自分が「しょうがない」というマジックワードを使うことを許してから、悩むことを辞めた。というか悩み切った。その代わり、そこに費やしていたリソースは、自分の仮説を具体化させて、もっと詳細に検討して、現実的にする方法を考えて実行する方向に回した。

もう大枠でブレることは無くなったけど、それでも不安なのは不安だし、誰もが思っているのと同じように怖いものは怖い。でも自分の中で決めたことだから、別にいいかな。死ぬわけじゃないし。

ちなみに、心がぐらつきそうになったら中国語を無理やり勉強して大体持ち直してます。ははは。