視界の外の隣人は

北京に来ている、とある友人の経歴がドラマのようだった。

高校生の時にちょこっとやんちゃをして少年院送りのち退学し、ホストで軍資金を貯めて地元で仲間と会社を興し、今は別の人に経営させて自分は北京に来ている。書けない事もあるので全部は書けないが、まぁ連ドラの主人公だと思ってもらえれば。

最近、生き方を多様化させよという声に呼応して、大学休学して起業してみたり、海外で就職してみたり、卒業後もゆるりとバックパッカーする人がなんとなく注目される傾向にある(自分もそうだけど)。でも、この種のクローズアップは、もしかして偏差値アッパー層(というあまり意味のない尺度)の狭い世界の中のみでやっている、井の中の蛙なんじゃないかと思う。

今はそうでもないかもしれないけど、一昔前「僕、起業します」なんていうと、なんだかものすごくおおごとのように聞こえた。一世一代を賭けた大勝負。勝てば億万長者、負ければ借金地獄。そんなリスク背負わないで安定を選びなさいよ、ホラ、ホリエモンみたいになるのが関の山だよ。という感じだ。

でも、その前提はなんだか初めから失うものが相当あるかのような聞こえ方だ。というか「おおごとのように聞こえた。」というのもそれは僕の所属しているコミュニティの中にいる僕が聞こえたというだけで、既にそこにはバイアスがある。崖っぷちに追い込まれて、背水の陣でそのエネルギーを前向きに全力で向けている人にとっては、おおごととか言ってる場合ではないかもしれない。

若者は海外へ行け起業しろなんて発破をかけられてもオドオドしている”エリート”達を尻目に、言われなくても冷や汗かいてやっている人なんてたくさんいるんじゃないだろうか。だとしたら、発破をかけてる人は、彼らを全力でサポートする方が社会に有益なんじゃなかろうか。


いつもいるコミュニティから離れて暮らしてみると、たくさん発見があっていい。トランプのカードをシャッフルして出てくる数字のように、日本にいたら普通会えなそうな人と仲良くなれたりして、最高。

種蒔きさん

思うことがあり、Biologyをちょっと勉強してみようと思って、とりあえず植物の種を買ってきて蒔いてみた。
10日間くらいで芽が開くと書いてあるので、家の中で陽のあたる場所に置いとく。



一緒に買った土の匂いを嗅いで、小学生くらいまで、昆虫少年だったことを思い出した。母方の実家は自然溢れる所にあるので、行った時はよく知り合いのおじさんの車に乗せてもらって森の中に行き、カブトムシやクワガタの幼虫を探しに行った。腐葉土で一杯にした飼育箱に入れとくと、いつの間にか蛹になって孵化する。腐葉土がそのまま幼虫の餌になるからだ。もちろん、植物の種を蒔けば、放って置くと芽が出る。何故だろうか。

腐葉土は、自然界のエコサイクルの過程で、木から落ちてきた葉っぱや枝を、バクテリアやミミズが生化学分解(*喰って出す)して堆積されたものだ。養分が吸収しやすい形に変化し、それを得た個体が生命を育み、役目を終えた後、その個体がまた分解され、他者の糧となる。人間も本来はそのサイクルの一角であるはずだ。

よくよく考えると、これって凄いことではなかろうか。肉眼で見えない世界で無数の生物やウイルスが常に蠢いていて、影響を与え合っている。僕達が見ている世界はそのレイヤーを通過した結果の世界でしか無い。もしかしたら、僕達の活動も、巨人の世界の中の小さな細胞膜の中で行われているミクロな活動の1つでしかないかもしれない。妄想が膨らむ。

ということで、こういったエコサイクルの科学的な説明を自分の中で得たいので、オンライン教材(こういうのとか:Molecular Biology: Macromolecular Synthesis and Cellular Function | Berkeley Video Course http://academicearth.org/courses/molecular-biology-macromolecular-synthesis-and-cellular-function)を上手く使って勉強したいと思うんだけど、良さそうなのに出会えていない。基本的に気になったことを自分で掘り下げていくと思うのでいいのだけど、体系的な基礎の理解があったほうが絶対良いので、良いのがあれば教えてください。


参考:
Humus - Wikipedia, the free encyclopedia http://en.wikipedia.org/wiki/humus

Philosophy is

"To think outside the established framework, to examine things independently—this is true philosophy." - Jim Rogers

I have been interested in to learn philosophy and at the same time been struggling to describe what is philosophy in my mind. Hundreds of celebrated philosophers, thousands of their books, millions of their chain of words. No wonder that I even lost where to start.

In the first place, my motive for philosophy was from an appetite to broaden the boundary of my empty thoughts. I easily find my limitation to think. A note and a pen help me to carry forward my reflection. But if a shape of estuaries, or the numbers of streams remain unchanged, I have to acknowledge the bottom of a barrage in the end.

When people think, there are two techniques to organize one's thought. One is induction and another is deduction. Both are not that difficult to exercise if you have logic. However, these methodologies are nothing more than inside of one's thought. It is like, repeatedly going back and forth on a road of logic within a small box.

As the above quote tells, I believe coming closer to philosophy provides us with, 1) recognition and acceptance for the external perspective, and 2) an intellectual training to approximate to that.

"Reflect on situations where conventional wisdom and custom turned out to be wrong. Take the time to find out what actually happened.This will help you to develop knowledge and confidence, so that the next time a decision is required, you will be able to constructively analyze the assumption of the majority." - Jim Rogers

I sense this is the true nature of philosophy.

仏像三昧

腸炎でまる三日くらいやられ、治るや否や、今日は休日だというのに気付いたら何も予定が無かった。天気もいいので朝っぱらから引きこもって勉強・・というのも人間性を疑われる気がしたので、散歩と美術館にでも行ってみることにした。上野の国立科学博物館でやっているhttp://www.tbs.co.jp/inkaten/ 特別展「インカ帝国展」というのに行こうと思ったのだが、着いたらチケット販売所から長蛇の列で、何時間かかるかわからなかったのでスパっと諦め、代わりに近くでやっていたhttp://www.boston-nippon.jp/ 特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝というのに入ってみた。

絵画の色彩や筆遣いなど全くわからないが、何か感じるものがあるはず・・とガイダンスマシンまで500円払って借りて、説明を聞きながら一生懸命観察したけど、やっぱり駄目。狩野派とかなんとか派とか前提知識がなさ過ぎるのか、絵画に対する感受性の問題なのか、ぶっちゃげ全く面白くない。歴史は好きだから、インカ帝国は楽しめたと思うんだけどね。

とはいえ森羅万象何らかの学びはあるはず。悔しいのでなんか無いのかとその後考えていたのだが、さすがにちょっと思い返すといろいろ興味が出てきた。

例えば、今日は一年分くらい大仏の絵や像を見たけど、よくよく見ていると、インド人にしか見えない。




まず着ているもの。いまでもインドへ行くと女性が着ている、民族衣装のサリーに見えないだろうか。肩から横掛けし、帯のように締め、羽衣で神々しさを描く。それから、アクセサリー。額の印、首飾り、足首のリングなど、どれもインド文化特有のものではないか。最後に、台座の蓮。蓮はインドの国花であり、ヒンドゥー教の神話に特徴的なシンボルとしてよく出てくる。

仏教ももともと古代インド発祥なので当たり前ではあるが、ここではそのインドらしいシンボルがそのまま、中国や東南アジア、日本に到るまでほとんど形を変えずに続いていたことに意味合いを求めたい。(いろいろアジアは旅行しているけど、どこにでも大仏はある。)なぜそうなったかというと、その宗教や文化が他国のものよりより強力に保護されうる環境が続いたからではないだろうか。

歴史的な世界のGDP推移をグラフで見ると一目瞭然。

産業革命ごろまで、世界にはインドと中国しか無かったようなもの。(このグラフ、当時の国境線をどこに置いているのかは気になる所だけど。)政治経済が安定してると、そのコミュニティの文化は自然に守られ、投資される機会が多くなり、発展する。世界最先端のものはみんな欲しがるので、周辺諸国へ広がっていったということですね。


なんかつまらないエントリーになってしまった。でもアウトプットの無い勉強は絶対しないとこの前決めたので、調べてしまったのでとりあえずポスト。せっかく調べた分を忘れるよりはいいかな。


その他:
インドと仏教

インド美術史・ヒンドゥー教美術史★インド神話なら!天竺奇譚:インド神様図鑑
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/art.html
釈迦時代
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/14_05jidai.html

決断としょうがない

最近、自分がこの先どうしたらいいかわからない、と周りの人に相談される。

そんなことをまだ何もしていない僕に聞いても仕方ないのは自明だけど、真剣に悩んでいる中で、胸のうちをぶつける相手に僕なんかを選んでくれたのなら、誠心誠意をもって応えたい。それでも偉そうに人にキャリアアドバイスなんて絶対できないので、自分がその立場だったらどう考えるか、という視点で精一杯答えている。

なぜ悩むかというと、先の見えない未来の姿が不安で仕方なくて、リスクがあることに対して何かしらの保証や確証を持って臨みたいからだろう。だからこれまでのキャリアパスを参考にして追従しようとしたり、リスクが少なくてその先がなるべく開けていそうな場所に行きたいと思うのは非常に理にかなっていると思う。(その前提がどうという話はあるが)

でも僕は、この不安はずっと無くならないものだと思う。これまでを振り返るとわかるように、この先どれだけやりたい仕事や行きたい会社や学校に入れても、今度は別の不安がきっと生まれる。解雇、倒産、昇給、ボーナス、職場の人間関係、実際やりたかった事とのギャップ、一定の成果を出した先のステップ。考えれば切りがない。

だから、悩み続けることに自分のリソースを割くのはもったいないと思う。自分が納得できる線を設定して、それを満たすまで悩み切ったら、もうそれ以上はやめよう。そこで自分が創った目標にあとは一心不乱に全力投球して、それで駄目ならしょうがない。(この過程には、精神面のバランスキープも含まれる。)

それに、自分の努力にちゃんとやった自信が持てるなら、そこで失敗した理由は他のファクターが原因の可能性が高いかもしれない。社会に評価をされる局面において、自分が地道に努力したことが直接的に結果に出ることはそんなに多くないと思う。あまり着目されないけど、市場環境、ニーズの変化、戦略の方向性、人の感情、いくつもの要素の複雑な絡み合いが1つの結論を出す。高校の時先生が、点数だけで完全に優劣が決まる大学入試が最後のフェアな競争と言っていたのを思い出す。

僕はこれに気づいて、かつ自分が「しょうがない」というマジックワードを使うことを許してから、悩むことを辞めた。というか悩み切った。その代わり、そこに費やしていたリソースは、自分の仮説を具体化させて、もっと詳細に検討して、現実的にする方法を考えて実行する方向に回した。

もう大枠でブレることは無くなったけど、それでも不安なのは不安だし、誰もが思っているのと同じように怖いものは怖い。でも自分の中で決めたことだから、別にいいかな。死ぬわけじゃないし。

ちなみに、心がぐらつきそうになったら中国語を無理やり勉強して大体持ち直してます。ははは。

2011年は何してたっけ

近況報告も兼ねて、昨年のレビューを書きます。

1月から5月末

までは、その前の年の9月から引き続き、香港大学で留学生をしていました。
既に何度か書いた通り、プレッシャーの中たくさん惨めな思いをしました。明確に日本の学生のレベルの低さを知って、こりゃイカンと反発心からいろんな決断に結びついた次第です。3月には大震災への寄付イベントを開催し、数十人の日本人と香港人のチームをマネージメントしました。香港ではテレビや新聞に出まくり、会うたびお前テレビで見たぞと声を掛けられました。ちなみに自分から何かをアピールすることは下衆に思えて、本当の意味であまり好きではないのですが、これをやったあと、時にはそれを意図的にしっかりとやる大切さを知りました。ちょっと公開。

(一例)

http://yuuki12.higoyomi.com/hkyuki1.html
http://yuuki12.higoyomi.com/hkyuki2.html (こちらに登場。いきなりカメラを回されて質問され、めちゃくちゃ動揺しながら喋っています。。)

毎日朝4時まで24時間ルームで作業をしてから、学校近くのマクドナルドでダブルチーズバーガーを食して帰りまた朝から作業、途中で食中毒になったのはいい思い出。この時どんだけ忙しいファームでも働けると確信した。この時タッグを組んだ日本人の先生とは特に親密になり、今でもお世話になっています(香港の母)。またこれを含め、1年を通して共にしんどい事を乗り越えたYとは良き友であり兄弟であり北京でのルームメイトです。一生の付き合いになるでしょう。

学外でも、三田会のパワーやお世話になっている方頼りで多くの社会人の方からお話を伺うチャンスを得ました。就職も意識し、ぬるい考えをだんだんシビアに研ぎ澄ませていった。時にこの会話が自分を惑わせることにもなったが、なんとか乗り越えた。そして大体やりたいことが決まる。

自分の心にも大きな変化が。慌ただしく生きる中で失敗を経て人付き合いの大切さを痛感し、前述のエントリー「人生の意味 - Namame blog」のようなことを重要視するようになる。周りの香港人や社会人を見ていて、自分の人生で大切な事は何かを初めて考える。また人生で初めて激しく心を揺り動かされる。なんか、大人になったなぁ。

普通にアメリカとかに留学していたらこれらの経験は無かった。我ながらあっぱれ決断。(この決断も、最初のきっかけは直感とノリだったことを自分のために記しておく。)

6月から7月

は、アジア旅行をしました。
最初の1週間では上海、南京、杭州、上海を中国人と一緒に周り、別の3週間でインドネシアはメダン、ジャカルタシンガポール、マレーシアを上述のYとぐるっと回って帰国。上海は「上海雑感 - Namame blog」に書いたかな。ジャカルタシンガポールでは、香港大学の時の友人宅に泊めてもらうがこれがまたリッチな所だった。ジャカルタでは本人が韓国に留学していたので、自前でプールやジムを持つ高級マンションの一室をそのまま貸してくれた。毎日朝ジムに行き泳いで、昼間観光し、夜はマンション近くのシーシャカフェ(http://www.facebook.com/shishacafejakarta)に通いビリヤードの腕を上げ(もう落ちた。。)、深夜まで話し込んでぐっすり就寝。

それからゼミの先生がジャカルタに研究所を持っているので、連絡して訪問。家まで押しかけ飲みながら将来の相談。応援の言葉とゼミの独断プレイをお許し頂き、いいゼミに入ったことを改めて実感。ということでいつもの貧乏旅行のはずがこの世の天国に行ったようでした(マレーシアではちゃんとユースに泊まった)。アジア最高。

8月から9月 は、日本でサマーインターンをしました。

すごく学び楽しかったインターンで、別途ブログエントリーがあるので今度アップします。

10月半ばから は、北京の清華大学にいます。

インターンのせいで遅れてきたため適当に入れられたクラスのレベルの高さに死にそうになりながらなんとかやっていく。いつの間にかクラスのまとめ役になっていて「班長」(中国語)と呼ばれている。すごく仲いいクラス。

http://www.facebook.com/photo.php?fbid=3265024947102&set=oa.319348608106526&type=1&theater

授業のプレッシャーは無いものの生活の激しさは香港時代とあまり変わらず。多分自分はずっとこういう人生を送り続けるのだろうなと思う。
肝心の語学は、年が明けるまでの目標だったHSK5級(6級が最高)を無事取得。6級も3月に絶対取ります。


2011年は実は人生で初めて海外に住んだ年でした。日本に二ヶ月半ほどしかいなかった。

ということで、レビュー終り。
今年の目標と、ある事の決意表明ももうすぐ書きます。