ハンターハンターはなぜ面白いか

先週インドに旅行し、おみやげにキツイ腸炎を貰ってきたわたくし。ベッドで過ごす中、久しぶりに漫画など読んでみた。なまめはリアルさのある血生臭い系が好きで、ARMS, エヴァンゲリオン、そしてハンターハンターを集めています。他にはGANTZベルセルクが好き。*1

で、時間をもてあましすぎて全巻読んでしまったんだけど、やはり面白い。特に幻影旅団編からの作り込みは尋常じゃないと思う。なんでこんなに面白いのか考えてみたんだけど、作品のもつ”妙なリアルさ”にあると思った。

リアルといっても、「念」という超絶パワーがご多分にもれず用意されているし、オヤジは伝説だし、親友の家業は暗殺だし、世界の端では巨大昆虫が出てきて人を喰う。しかしそんなエンタメの舞台設定の中に、作者の富樫さんはなんとかリアルさを持たせようとしていて、それが結果的に読者を惹きつける。

例えば、「念」は"努力すれば誰でも身につけられ"る能力であり、必ずしも戦闘用ではない。演説のカリスマだったヒトラーや世界的な芸術家などはその特殊能力がその方面に振り分けられている結果であり、"それを知らずに達成している人"にあたる。心血を注ぎ作り出された名作には、作者の念が滲み出るらしい。(その念を判別するにも基本的な念能力が必要であり、私たちには見ることができない。)このあたり妙にリアルである。

更に、念は6種に系統立てられ、それぞれに得意とする能力分野がある。例えば強化系は肉体を強化するのが得意なので、体術や治癒能力を伸ばすことが一番自分に合致した能力開発となり、逆に物体を操作したり、念によって何かを作り出すことは苦手となり、頑張ってもいまいち伸び悩む。これら6系統にはそれぞれそれらしい性格が充てがわれ、あいつ、強化系(単純一途)っぽいな、、みたいな使われ方をする。

人間は人を型にはめることが大好きで、学歴や職業や大人可愛い系とか草食男子とかで絶えずジャンル分けしたがる。それで、「私の偏差値じゃ東大なんて無理よ」、とか、「商社の男の人って、私の中の見えない可能性を広げてくれるイメージ。」とかいう無意味な妄想が生まれる。ハンターがポジティブなのは、この分け方が上下ではなく、横方向の拡散であり、不平等が無いところだ。(特質というズルイ感じのはあるが。)ここが作品に安易な優劣を作り出さず、いつ誰が死んでもおかしくない緊張感を継続することに成功し、話を面白くさせる。

そして、強くなるために必ず主人公たちは努力をする。それも、ひとコマ筋トレしてるレベルじゃなくて、理にかなった指導方法があり、1巻まるまるかけて修行していたりする。サイヤ人は一度死にかけたらパワーアップするんだぜーーを、許してくれない。毎日30分ヘトヘトになるまでオーラを全力で維持する練習をして、少しづつ強くなっていくのである。それでも負けたりする。

もしくは、強力な能力を得るためには何か代償が必要。手から強力な弾を発射するには指を切り落とすし、報復のために最強の能力を得るには、復讐相手意外には使えなくて、使っちゃったら死ななきゃいけない。厳しいぜ富樫。んで、このあたりがまたリアルだと思うのである。オリンピック選手になるには進学は捨てて専門コースを歩むだろうし、消費税を導入するには国民に嫌われなきゃいけない。

この 系統の得手不得手に加えて、誰しも努力しないと強く慣れない世界観であるために、めちゃくちゃ強そうなやつでも、それは相応の努力や代償の結果であり、なんか納得できるのである。

作者の富樫義博は、大ヒット作を2本持ち、漫画家として最高の成功を収めていて、間違いなく努力の大切さと、そのために合理的に能力を振り分けて実行することがベストな道だということを知っている。だからこんなリアルな作品が描けるのだ。そして、現在は長期で休載し、趣味や家族に自分のキャパを振り向けることが、彼にとっては当然合理的決断となるわけである。。

そんなハンターも、1月にやっと連載再開するらしい。また10週だけだろうけど、途中でやめたり、クオリティ下げて続けられるよりは、僕は満足に耐えうる作品が減ってしまう事の方がつらいので、この方がいいです。

妙に長いエントリーになったが、何が言いたかったかというと、、


富樫仕事しろ

*1:何よりの共通点は、連載が遅いことだ。