人生の意味

意識してそうしようとしている訳では無いのだけれど、僕はいつも考えることが、自分が達成したいこととか、いわゆる仕事とかキャリアとかばかりにすごく傾倒していて、あるいは優先事項であり、時間配分とか効率性とかばっかりが気になってしまう小さい人間だと思う。

映画や本を読んでも泣けない。簡単に感情移入が出来ない。もちろん好きな映画や音楽はたくさんあるが、それは右脳的な心を刺激されて芸術を鑑賞したというより、作者がその作品を作るまでに至った努力や完成度の高さに惜しみない賞賛を感じて感動している、と言ったほうが正しい。

昔はもう少し、思い出や日々の瞬間にセンチメンタルに浸る子供だったが、いつの間にかそんな風になった。仕事や試験ではどちらかというと求められるスキルは前者だと思うが、その求めに応じてそちらばかりを伸ばしたら、一方が蔑ろになっていたということだと思う。一般的に男性は論理構造に重点を起き、女性は感情の働きを大切にすると言われているので、それもあるかもしれない。

ところが今日久しぶりに一日家にいて、音楽を掛けずに自分の部屋でぼーっとしていたら、突然留学中にいろいろ旅行した時の情景を思い出した。誰と話をして何をしたか、何を見て何を感じたかとか、鮮明に浮かび上がってきた。そのままfacebookの当時の写真を見にいったら、柄にも無く感傷に浸ると同時に、今この瞬間の自分は、とても人間らしいと思った(俺は機械かと我ながら突っ込む)。過ぎた瞬間は、二度と戻ってこない。幾度と無くポップソングで繰り返されるこの退屈なフレーズの重みが、ちょっと解った気がした。

前のエントリーで、常にああしなければこうしなければと考えてしまうと書いたけど、いつまでも満たされない焦燥感は、もしかしたらこっちで満たされるものなのかもしれない。

僕はもう少ししたら北京に行くけど、自分で判断して努力する類のモノに関しては、あまり心配していない。やりたい勉強はちゃんとやるだろうし、中国語も今の英語くらい喋れるようにちゃんとなるだろう。足りない所や悪い所を見つけながら日々改善してガツガツやっていくことは何も考えなくてもやるだろう。そんなことよりも、自分の心を育てることにもっと重点を置いてみたい。

キャリアの話だけで埋め尽くされたような、薄っぺらくない人生の意味を探してみよう。これが北京にいる間の目標。